
もくじ
はじめに
海の中を優雅に泳ぐタコ。 一見すると、ただの軟体動物に見えるかもしれません。
でも、もしあなたが「タコの体の中」を覗けたとしたら―― そこには、私たちの常識を根底から覆す驚異の世界が広がっています。
心臓が3つ。 脳が9つ。
「え、どういうこと?」と思いましたよね。 私たち人間は心臓1つ、脳1つで生きています。それが「普通」だと思っていました。 ところがタコは、まるでSF映画から抜け出してきたような、信じられない体の仕組みを持っているのです。
これは決して「奇妙な生き物」という話ではありません。 タコがこの構造を手に入れたのは、海という過酷な環境で生き抜くために選んだ、究極の進化戦略だったのです。
瞬時に体の色を変える能力。 骨のない体を自在に変形させる超柔軟性。 そして、驚くほど高い知能―
これらすべては、「3つの心臓×9つの脳」という独自のシステムがあってこそ実現しています。
この記事では、こんな疑問にお答えします:
- なぜタコには心臓が3つも必要なのか?
- 脳が9つに分かれているって、どういう仕組み?
- この特殊な体は、タコにどんなメリット(とデメリット)をもたらしているのか?
読み終わる頃には、タコを見る目が完全に変わっているはずです。 それでは、地球上で最も「エイリアン」に近い生き物の秘密を、一緒に紐解いていきましょう。
第1章 タコの心臓はなぜ3つあるのか
衝撃の事実:タコは「3つの心臓」で生きている
想像してみてください。 あなたの胸の中に、心臓が3つ同時に鼓動している様子を――
私たち人間にとって、それは完全にSFの世界です。 でもタコにとって、これは「当たり前の日常」なのです。
タコの体には、明確に役割が分かれた3つの心臓が存在します:
- 鰓(えら)専用の心臓×2つ=鰓心臓
- 全身へ血液を送る心臓×1つ=全身心臓
「なぜそんなに必要なの?」 その答えは、タコが選んだ「極限環境で生き抜く戦略」にありました。
① 鰓心臓(2つ)――命をつなぐ"酸素補給専用ポンプ"
ここで、もう一つ驚きの事実があります。
タコの血は、青い。
私たちの赤い血とは違い、タコの血液は「ヘモシアニン」という銅を含むタンパク質でできています。 この青い血は、低温・低酸素・深海といった過酷な環境では驚異的な力を発揮しますが、酸素を運ぶ効率は決して高くありません。
そこでタコが編み出した解決策が、「酸素を取り込む専用の心臓」を2つ持つという戦略でした。
左右のえらに1つずつ配置された鰓心臓は、血液を強制的にえらへ送り込み、酸素を吸収させる役割を担っています。 つまりタコは、「肺(えら)専用のポンプが2台ついている生き物」なのです。
この仕組みがあるからこそ、タコは酸素の薄い深海でも活動できるのです。
② 全身心臓(1つ)――すべてを動かす"メインエンジン"
えらで酸素をたっぷり吸収した血液。 それを全身へ届けるのが、全身心臓の仕事です。
一見シンプルに聞こえますが、タコの体はとんでもなく複雑です:
- しなやかな筋肉だらけの8本の足
- 1本につき数十個も並ぶ、合計300〜500個の吸盤
- 瞬時に色を変える皮膚の色素胞
- 骨のない体で狭い隙間に潜り込む超柔軟ボディ
これら全てを同時に動かすために、全身心臓は驚異的な循環速度と圧力で血液を送り続けています。 まさに、タコという"高性能マシン"を動かすメインエンジンなのです。
③ 衝撃の弱点:泳ぐと心臓が止まる!?
ここで、意外すぎる弱点をお伝えしましょう。
タコがジェット噴射のように勢いよく泳ぐと―― なんと、全身心臓が一時的に止まってしまうのです。
理由は、急激な体圧変化によって心臓の拍動が乱れるため。 その結果、タコには致命的な弱点が生まれました:
- 長距離を泳ぐのが苦手
- すぐに疲れてしまう
だからタコは、海底を歩くように移動することが多いのです。 あのゆったりとした動き方は、実は弱点を補う「合理的な生存戦略」だったのですね。
④ 3つの心臓は「奇妙」ではなく「最適解」だった
ここまで読んで、あなたはこう思ったかもしれません。 「タコって、なんて複雑で不思議な生き物なんだろう」と。
でも実は、この3心臓システムは完璧に計算された設計図なのです:
✓ 青い血は酸素効率が低い
→ 専用ポンプ2つで強化して補う
✓ 8本足・吸盤・皮膚の色変化など、全身に膨大な酸素が必要
→ 全身心臓の負担を軽減し、安定した循環を実現
✓ 深海や冷たい海でも活動したい
→ 酸素補給を強化した多心臓構造が最適
タコは決して「奇妙な生き物」ではありません。 海という過酷な世界で生き抜くために選んだ、究極の進化の形――それが、3つの心臓だったのです。
第2章 タコの脳はなぜ9つあるのか
タコは「9つの脳」で世界を感じている
心臓が3つでも驚いたのに、まだ終わりではありません。
タコの体には、脳が9つ存在します。
「9つの脳?一体どこに?」 その答えは、タコの体の構造そのものにありました。
脳の配置図:中央に1つ、足に8つ
タコの脳システムは、こう設計されています:
- 頭部の中央脳×1つ(メイン司令塔)
- 8本の足それぞれに独立した脳×8つ(現場の指揮官)
合計9つの脳が、互いに連携しながら独立して動く―― これは地球上の生物の中でも、極めて異例の構造です。
この「分散型システム」こそが、タコの驚異的な知能と行動力を生み出す秘密だったのです。
① 中央脳(1つ)――すべてを統べる"司令塔"
頭部にある中央脳は、タコの"メインCPU"です。
ここが担当するのは:
- 環境の認識(視覚・触覚の統合)
- 学習と記憶
- 全体的な判断と戦略
そしてこの中央脳、驚くほど発達しています。
タコは、こんなことができます:
✓ 迷路を学習して解く
✓ 瓶のフタを回して開ける
✓ 道具を使う
✓ 問題を協調的に解決する
水槽から脱走したタコのニュース、聞いたことありませんか?
あれは偶然ではありません。 タコは水槽の構造を観察し、隙を見つけ、計画的に脱出しているのです。
この学習能力の高さは、脊椎動物に匹敵するとさえ言われています。
② 足の脳(8つ)――「足そのものが考える」という革命
ここからが、タコの真骨頂です。
タコの足には、それぞれ独立した神経制御センター(神経節)が備わっています。 これが「足の脳」と呼ばれる理由です。
そしてこの足の脳は、単なる中継点ではありません。 足自身が、考え、判断し、行動するのです。
● 足が「自律的に判断」して動く
タコの足は、触れた瞬間にこんな情報を解析します:
- 物の性質は?
- 形は?温度は?
- 固い?柔らかい?
- 食べられる?危険?
そして中央脳の指示を待たずに、その場で動作を決定します。
想像してみてください。 あなたの手が、脳からの指令なしに勝手に考えて動いている様子を―― タコの世界では、それが「普通」なのです。
● 8本の足が「協力し合う」
それぞれが独立して判断するからこそ、タコはこんな芸当ができます:
- 複数の足で同時に獲物を押さえ込む
- ある足で探索しながら、別の足で岩を動かす
- 狭い隙間に1本の足だけを潜り込ませて情報収集する
8つの脳が、まるでチームのように連携しているのです。
● 切れた足も「しばらく動く」
さらに驚くべきことに―― タコが足を失っても、その足は一定時間、独立して動き続けます。
これは敵から逃げる際に「囮」として機能し、進化的に非常に有利な特性です。 足に判断機能があるからこそ、実現できる防御戦略なのです。
③ 9つの脳が生み出す"スーパー並列処理"
タコの脳システムを一言で表すなら―― 「中央で戦略を立て、現場が自律的に実行する」
まるで、有能な経営者と優秀な現場マネージャーがいる組織のようです。
役割分担はこうなっています:
■ 中央脳の仕事
- 全体戦略の立案
- 学習・記憶
- 長期的な判断
■ 足の脳×8の仕事
- 局所的な判断
- 触覚情報の解析
- 細かな動作の実行
- 中央脳の負荷軽減
この分散システムがあるから、タコは:
✓ 狭い穴を見事にすり抜ける
✓ 一瞬で体色を変える
✓ 8本の足を同時に別々の作業に使う
といった、他の生物では不可能な動作を実現しているのです。
④ 分散脳にも「代償」がある
ここまで読むと、9つの脳は完璧なシステムに思えます。
でも実は、大きな代償も払っているのです:
- 膨大なエネルギー消費(全身の脳を維持するため)
- 短い寿命(多くのタコは1〜2年しか生きられない)
- 長期的な身体維持が困難(分散しすぎた脳の負担)
タコの知性は非常に高いのに、なぜ寿命が短いのか? その答えは、この「9つの脳システム」の維持コストにあったのです。
天才的な頭脳と、短すぎる命――
タコは、進化の選択の中で「瞬間の輝き」を選んだ生き物なのかもしれません。
第3章 進化のメリットと弱点
タコの体は「最強」なのか、それとも――?
心臓3つ、脳9つ。
ここまで読んできたあなたは、こう思ったかもしれません。 「タコって、完璧すぎる生き物じゃないか?」
確かに、タコの身体システムは驚異的です。 でも実は、この奇跡のような構造には、避けられない「代償」も存在するのです。
進化は、常にトレードオフです。 何かを得れば、何かを失う――
この章では、タコが手に入れた「圧倒的な強み」と、その裏に隠された「痛すぎる弱点」を、赤裸々に見ていきましょう。
① 進化のメリット――海で「最強クラス」の理由
1. 8本の足が同時に考える、驚異の作業効率
想像してみてください。
タコが獲物を探しているとき――
- 1本目の足で岩の隙間を探る
- 2本目の足で獲物を押さえる
- 残りの足で体を移動させる
これらすべてが、同時進行で行われています。
人間でいえば、「両手両足に独立した小脳がついている」ようなもの。 一つ一つの動作に、中央脳の許可はいりません。
足が考え、足が判断し、足が動く。
この並列処理能力こそ、タコの行動が驚くほど速い理由なのです。
● 狭い隙間にも「瞬時に対応」
さらに驚くのは、局所判断のスピードです。
タコが穴を見つけたとき:
- 足先だけを穴に入れて情報収集
- その場で曲げる・縮める・伸ばす
- 本体が通れる隙間か瞬時に判断
これらすべてが、数秒の間に完了します。 中央脳からの指令を待っていたら、とても間に合いません。
2. 色変化・体形変化を「1秒以内」に完了
タコの皮膚には、「クロマトフォア」と呼ばれる色素胞が無数に存在します。
中央脳が環境を判断し、足の分散脳が細かい部分を調整することで――
✓ 岩肌のようなゴツゴツした模様
✓ 砂に溶け込む淡い色合い
✓ 敵を威嚇する鮮やかな赤や黒
これらを1秒以内に切り替えることができるのです。
捕食者から身を守るため、獲物に気づかれないため―― このカモフラージュ能力は、タコの生存戦略の中核です。
3. 深海から沿岸まで――驚異の環境適応力
覚えていますか? タコの血は青く、「ヘモシアニン」という特殊なタンパク質でできていることを。
この青い血は、低温・低酸素の環境でこそ力を発揮します。 そしてそれを支えるのが、鰓心臓2つ+全身心臓1つの3心臓システムです。
この構造のおかげで、タコはこんな場所でも生きられます:
- 寒冷地の海
- 暖かい海
- 深海
- 沿岸
世界には約300種のタコが存在し、そのほとんどがこの3心臓システムを共有しています。
タコは、「環境適応力」において最強クラスの生き物なのです。
② 進化の弱点――便利すぎる体にも「痛すぎる代償」がある
さて、ここからが本題です。
これほど優れた体を持つタコですが、実は致命的な弱点も抱えています。
1. 泳ぐと心臓が止まる――移動能力の限界
前章でも触れましたが、これは避けて通れない弱点です。
タコがジェット噴射で泳ぐと、全身心臓が一時的に停止してしまうのです。 理由は、強い水流の圧力によって循環系に過剰な負荷がかかるため。
その結果:
- 長距離を泳げない
- 非常に疲れやすい
- 普段は海底を歩くように移動
「泳ぐ生物」としては、これは致命的な制約です。
海の中を自由に泳ぎ回る――そんな姿を想像しがちですが、実際のタコは「省エネモード」で暮らしているのです。
2. 脳9つの維持コストが高すぎる――だから寿命が短い
脳は、生物の中で最もエネルギーを消費する器官の一つです。
タコには、それが9つもあります。
そのため、タコの体は常に高い代謝を維持しなければならず―― その代償が、驚くほど短い寿命として現れます。
タコの寿命:
- 一般的な種:1〜2年
- 大型種でも:4〜5年程度
高い知能を持っていても、「長期運用の効率が悪い」という進化の制約を受けているのです。
賢いのに、短命。 これが、タコという生き物の切ない現実です。
3. 子育てに弱い――繁殖後に力尽きる運命
タコのメスは、卵を守るために壮絶な一生を送ります。
- 産卵後、卵を守り続ける
- その間、ほとんど食事を取らない
- 卵が孵化すると、力尽きて死ぬ
繁殖戦略としては、まるで「使い捨て構造」のようです。
優れた脳を持ち、全身を完璧に制御できるのに―― 子孫を残した後は、生きる力を失ってしまう。
進化の選択が生んだ、残酷な宿命です。
4. 陸上では無力――呼吸システムの限界
タコの足は驚くほど器用ですが、呼吸は「鰓(えら)」に依存しています。
つまり、水から出ると:
- 全身心臓の負荷が急増
- 鰓心臓の機能が低下
- 酸素供給が追いつかない
「賢い」けれど「陸では脆い」―― これも、タコが抱える進化の制約です。
③ まとめ:タコは「万能型」ではなく「特化型」
ここまで見てきて、一つの真実が見えてきます。
タコは、万能の生き物ではありません。
心臓3つ、脳9つという極端な分散型システムで―― 「瞬時の判断力・並列処理・高い環境対応力」を極限まで高めた、超特化型の生き物なのです。
でもその代わりに、こんな弱点を背負っています:
✗ 長距離移動が苦手
✗ 寿命が短い
✗ 繁殖後に力尽きる
「タコは宇宙人みたい」
そう言われる理由は、この「強烈な長所と弱点のセット」にあります。
私たち哺乳類とはまったく異なる進化の道を選び、 海という世界で、独自の生存戦略を極めた――
それがタコという生き物の、真の姿なのです。
おわりに
タコは、地球の海で最もユニークな進化を遂げた生き物のひとつです。
心臓が3つ、脳が9つ。
この数字だけを見ると奇妙に聞こえますが、その背景には海で生き抜くための徹底的な合理性があります。
酸素を効率よく取り込むための「3つの心臓」。
複雑な8本の足を高速で同時制御するための「9つの脳」。
この2つの仕組みが組み合わさることで、タコは
- 色や模様を瞬時に変える
- 足1本で“考えながら”行動する
- 狭い隙間を自在に通り抜ける
といった驚異的な能力を発揮します。
一方で、
- 泳ぐと心臓が止まる
- 寿命が短い
- 子育てに弱い
という、極端な弱点も抱えています。
強さと脆さが同居してこそ、タコは“究極の特化生物”として魅力を放ちます。
ぜひ、食卓やお子さまとの会話でも、この不思議な生態を楽しんでみてください。
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