
もくじ
はじめに
海で泳いでいる魚を思い浮かべると、多くの方が「海の水はしょっぱいのだから、魚の身もしょっぱいのでは?」と思ったことがあるのではないでしょうか。しかし実際には、海の魚をそのまま刺身にして食べても塩辛さを感じることはありません。むしろ、旨みや脂の甘さが際立ち、塩味は調味料として後から加えなければならないほどです。
ではなぜ、魚はしょっぱい海の中で暮らしているのに、体が塩辛くならないのでしょうか。その答えは、魚が持つ体液の塩分調整機能(浸透圧調整)にあります。これは、外界と体内の塩分濃度の差をコントロールする仕組みで、海水魚と淡水魚とでは大きく異なる戦略がとられています。
本記事では、まず「海水はしょっぱいのに、魚の身はなぜしょっぱくないのか」という素朴な疑問から出発し、魚の体がどのようにして塩分をコントロールしているのかを解説します。さらに淡水魚との違いや、料理に活かせる塩分の豆知識についてもご紹介します。
第1章 海水はしょっぱいのに…魚の身が塩辛くない理由
1-1 海水の塩分濃度と魚の体液の差
海水の塩分濃度はおよそ 3.5%(約35g/L)。一方で、海水魚の体液(血液や細胞内液)は 約1%弱 に保たれています。つまり、魚の体は常に「外界のほうが塩分が高い環境」に置かれているのです。
もし魚が体の塩分を調整できなければ、体内の水分はどんどん奪われ、身も塩辛くなってしまいます。しかし実際にはそうならず、魚の身はヒトと同じようにほぼ 等張な体液 を保っているため、食べても塩辛く感じないのです。
1-2 体は“塩分フィルター”を備えている
魚のエラには「塩類細胞」と呼ばれる特殊な細胞が存在します。ここで余分な塩分を積極的に体外へ排出しているのです。
- 海水魚は海水を飲み込み、体に必要な水分を吸収しながら、余分な塩分をエラから排出
- その結果、体内の塩分濃度は常に一定に保たれる
つまり、魚の身が塩辛くならないのは、体が外界の塩分を遮断しつつ、不要な分を処理しているからなのです。
1-3 「海の魚が塩辛い」という誤解の背景
「海の魚=塩辛い」というイメージが生まれたのは、実は保存法の影響です。冷蔵技術がなかった時代、人々は魚を長く保存するために大量の塩で漬け込みました。これが「魚=しょっぱい」という印象を広めた大きな理由です。
しかし、本来の魚の身は決して塩辛くなく、むしろほのかに甘みを感じるほど。現代の冷蔵流通では、魚本来の味を楽しめるようになりました。
1-4 刺身が美味しい理由は“塩分バランス”にある
刺身を口に入れると、ほんのりとした甘みや旨みを感じます。これは、魚の体液がヒトの体液と近い浸透圧(ほぼ等張)であるため、違和感なく「自然な味」として感じられるからです。塩を振った焼き魚が格別に美味しいのも、もともと塩分の少ない魚に塩を足すことで旨みが引き立つからなのです。
第2章 魚の“浸透圧調整”とは?体内の塩分濃度を保つ驚きのしくみ
2-1 浸透圧とは?海水魚にとっての大問題
「浸透圧」とは、濃度の異なる溶液が半透膜を介して接すると、濃度を均一にしようと水分が移動する現象のことです。
海水魚にとって外界(海水)は 高塩分=高浸透圧。そのままでは体内の水分が外に流れ出してしまい、脱水状態に陥ります。
一方、淡水魚は逆に外界(淡水)が低塩分=低浸透圧であるため、水分が体内に流れ込みすぎるという問題に直面します。魚たちは、それぞれ異なる戦略でこの問題を解決してきました。
2-2 海水魚の戦略:飲んで、排出する
海水魚は常に体内の水分が奪われるリスクがあるため、積極的に海水を飲み込みます。
- 腸で水分を吸収し、必要なミネラルを取り込む
- 余分な塩分は、エラの「塩類細胞」から体外へ能動的に排出
- 腎臓は「濃い尿」を出し、水分を極力失わないように調整
こうした仕組みにより、海水魚は体液の塩分濃度をヒトとほぼ同じレベルに維持しています。
2-3 淡水魚の戦略:出して、吸収を防ぐ
逆に淡水魚は、外界から水分が体に入り込みすぎるため、以下の仕組みを持っています。
- 海水魚と違い、水をほとんど飲まない
- 腎臓から「薄い尿」を大量に排出し、余分な水を体外に捨てる
- 必要な塩分はエラの塩類細胞から逆に吸収
結果として、淡水魚もまた体液の塩分濃度を一定に保つことに成功しているのです。
2-4 回遊魚は“二刀流”の調整システムを持つ
サケやウナギのように、淡水と海水を行き来する魚は特別です。
- サケは生まれた川から海へ下り、成長して再び川へ戻る
- ウナギは逆に川で育ち、産卵のために海へ下る
これらの魚は、体の仕組みを環境に合わせて切り替える能力を持っています。海水環境では塩分排出モードに、淡水環境では塩分吸収モードにスイッチするのです。この柔軟な適応力が、彼らを長距離回遊可能な魚にしています。
2-5 魚の体液が“人間の味覚”に近い理由
ヒトの血液の塩分濃度は約0.9%。海水魚や淡水魚の体液濃度もほぼこれに近いため、魚の身を食べても「塩辛い」と感じないのです。むしろ適度な浸透圧バランスによって、刺身や煮付けで自然な甘みや旨みを感じやすいと言えるでしょう。
第3章 淡水魚との違いと、調理で注意すべき塩分ポイント
3-1 淡水魚の身はどう違う?
淡水魚は外界から水が入り込みすぎる環境に暮らしているため、常に余分な水分を排出しています。そのため身は水っぽく、やや柔らかい傾向があります。
一方で、海水魚は水分を失いやすいため、体内の水分を保とうとする仕組みが発達しており、身が引き締まってしっかりした食感になるのです。
また、淡水魚は塩分を積極的に吸収するため、体内に含まれる無機塩類(ミネラル)のバランスが海水魚とは異なります。これが味や風味にも影響しています。
3-2 淡水魚特有の“臭み”の原因
川魚(コイ、フナ、ウナギなど)は、ときに「川臭い」と言われることがあります。これは主に以下の要因によります。
- 水質の影響:淡水環境では藻類や有機物が多く、魚の体に独特のにおい成分(ジオスミンや2-メチルイソボルネオール)が取り込まれる。
- 脂質の酸化:淡水魚も不飽和脂肪酸を含みますが、酸化しやすく臭みが出やすい。
これらのにおい成分は加熱や香味野菜の使用で軽減できるため、調理法によって美味しさが大きく変わります。
3-3 塩の使い方で変わる魚の味
海水魚も淡水魚も、調理における「塩」の役割は非常に大きいものです。
- 海水魚の場合:適度に塩をふることで水分が抜け、旨みが凝縮する。特に焼き魚では「振り塩」が必須。
- 淡水魚の場合:臭み成分を和らげるために、塩をふってから流水で洗う「塩もみ」が効果的。
つまり、同じ魚料理でも、魚種に応じた塩の使い方を変えることが大切なのです。
3-4 料理人の知恵:塩分と食感のバランス
プロの料理人は「塩を味付けではなく、食感を整える調味料」と考えています。塩をふることで筋繊維が収縮し、焼き魚や干物は身がしまって美味しくなる。煮魚では、塩をあらかじめふっておくことで煮崩れを防ぎ、雑味を抑える効果も得られます。
淡水魚料理(鮎の塩焼きなど)では、特に塩の量や振り方が重要で、均一に塩をあてることで焼き上がりが格段に変わるのです。
3-5 海水魚と淡水魚を美味しく食べ分ける
- 海水魚:身が引き締まり、刺身・寿司・焼き物に向く。
- 淡水魚:やや水っぽいが、香味野菜や発酵調味料と相性が良い。
つまり、調理法の選び方こそが、海水魚と淡水魚を美味しく食べる最大のポイントです。塩と水分のコントロールを意識することで、魚のポテンシャルを最大限に引き出すことができます。
おわりに
「海水魚は塩辛いはずなのに、なぜ魚の身はしょっぱくないのか?」――そんな素朴な疑問から始まった今回の記事。実際には、魚たちが持つ浸透圧調整の仕組みによって、体液の塩分濃度を人間の体液に近いレベルに保っているためでした。
また、海水魚と淡水魚の戦略の違い、さらに塩の使い方が料理の仕上がりを大きく左右することもご紹介しました。魚をただ「海のもの」「川のもの」と分けるのではなく、体の仕組みや環境の違いを理解することで、より美味しく調理するヒントが見えてきます。
次に魚をさばくときや食卓に並べるとき、ぜひ「魚は塩とどう付き合っているのか」という視点を思い出していただければと思います。
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