
もくじ
はじめに
出汁(だし)は“水に味を移す技術”です。魚の場合、その味の設計図は骨・皮・血合い・鱗・結合組織(コラーゲン)にあります。つまり「どの部位を、どの順で、どの温度で扱うか」で、澄みきった旨味にも、濁って生臭い汁にもなり得ます。本稿では和洋の代表格──あら炊き/潮汁/フィメ・ド・ポワソン/ブイヤベース──を、家庭で再現できる黄金比(配合)と温度管理まで落とし込み、失敗の原因を理屈で断ち切ります。
第1章 出汁の“骨格”を知る:魚骨の構造・旨味分子・雑味の正体
旨味の担い手:遊離アミノ酸・核酸・コラーゲン→ゼラチン
結論:低〜中温で“穏やかに溶かす”ほど、透明感とうま味の輪郭が立つ。
魚の骨・皮・中骨周りには、遊離アミノ酸(グルタミン酸・タウリン 等)と、加熱や熟成で生成する核酸系(イノシン酸 IMP)が蓄えられています。これらは80〜95℃の穏やかな帯でよく抽出され、激しい沸騰ではタンパク凝集→濁り・えぐみを引き起こします。さらに骨・皮に多いコラーゲンは、時間とともにゼラチンへ部分加水分解して口当たり(粘性)を与えます。
- 目安:
- 和の澄まし(潮汁)→85〜92℃/10〜15分
- あら炊き→沸点まで一気に立ち上げ→中弱火10〜15分(味を含ませる)
- フィメ・ド・ポワソン→85〜95℃/20〜30分(絶対に沸騰させない)
- ポイント:抽出が進み過ぎるとカルシウム由来の粉っぽさが出るため、“澄ませたい系”は短時間勝負が鉄則です。
雑味の源:血合い・胆汁・酸化脂質と“前処理の順番”
結論:臭みは最初の10分で9割決まる。
雑味の主犯は血合い血(ヘム鉄)・胆汁(苦味)・酸化脂質(過酸化物)。包丁を入れる前に以下の順で処理します。
- 血抜き・血合い血の除去:中骨溝やエラ際の血を流水+ブラシで徹底的に。
- 湯霜(ゆずり):85〜95℃の湯を骨・皮にサッとかける(10〜20秒)。表面のタンパクだけを凝固→臭いの膜を作る。
- 氷水へ落とす:直ちに冷却し、表層の灰汁・脂膜を落とす。
- 水気を拭き取る:キッチンペーパーで完全乾燥。ここまでで生臭さの8割は除去できます。
※あら炊きはここから煮付けへ、潮汁やフィメは昆布・香味とともに静置抽出へ進みます。
“焼き骨”と“生骨”の使い分け
結論:香りを立てたいなら焼き骨、透明感・清澄を最重視なら生骨。
- 焼き骨:グリル中火で表面が薄く狐色になるまで。脂を落とし香ばしさを付与。あら炊き・ブイヤベースの“土台”に最適。
- 生骨:湯霜までで止め、色を付けない。潮汁・フィメなど澄ませ系に向く。
- 注意:焼き過ぎは焦げ苦味・煙臭を生むため、色がついたら終了が合図。
和・洋・中で変わる基礎設計:塩・酸・香味野菜の役割
- 塩:浸透圧でにごりを押さえ、味の輪郭を締める。潮汁は**0.8〜1.0%**が目安。
- 酸:白ワイン・トマト・酢は金属臭のマスキングと香りの持ち上げに有効(フィメ・ブイヤベース)。入れ過ぎはたんぱく分離の原因。
- 香味野菜:
- 和:生姜・長ねぎ青い部分で“海の香り”を邪魔せず臭いを抑える。
- 洋:ミルポワ(玉ねぎ:人参:セロリ≈2:1:1)は色が付かない火入れで甘味を静かに引き出す。
- 昆布:60〜70℃帯で10〜20分。潮汁のうま味の下座。煮立ては粘り・えぐみの原因。
水質・硬度・塩分の小技
結論:水も“調味料”。軟水は澄み、硬水は濁りやすい。
日本の水道は概ね軟水で出汁向き。硬水域ではボトル軟水またはブレンドを推奨。海由来の料理は塩分0.2〜0.3%相当の“海水っぽさ”が雑味を丸めます(フィメやナージュの下地に有効)。
アク取りの科学:最初の沸点前後が勝負
結論:アク=変性タンパク+血の微粒子。
- タイミング:立ち上がり〜10分で面を崩さず静かに回収。
- 火加減:強い沸騰は再乳化→にごり戻り。常に小さな対流に抑える。
- 道具:目の細かい網杓子、またはリード紙+お玉の合わせ技が効率的。
器具・道具の最適解
- 鍋:浅広(熱が均一)が澄み系に、厚手(余熱が効く)が炊き系に有利。
- こし器:細目→さらしの二段。押し絞りはNG(濁り・えぐみの原因)。
- 温度管理:表面が“呼吸”する程度の湯気=約90℃を目視基準に。デジタル温度計があれば理想。
章まとめ(実践チェックリスト)
- 旨味は85〜95℃で短時間、激沸騰は避ける。
- 湯霜→冷水→拭き取りで臭いの種を断つ。
- 焼き骨=香り/生骨=清澄と覚える。
- 潮汁の塩は0.8〜1.0%。フィメは白ワイン少量+ミルポワで骨格作り。
- アクは立ち上がり10分で勝負、こし布は押さない。
第2章 和の出汁①:あら炊き
目的とゴール
結論:血と脂の“雑味”を除き、骨と皮の“コラーゲンとうま味”だけを抽出して、照りとコクのある煮汁でまとめる。
刺身や切り身の頭・中骨・カマ・皮(=“あら”)を使い、ご飯に合う甘辛バランスで仕立てます。澄んだ潮汁とは対照的に、香ばしさとゼラチンの舌触りを狙う料理です。
下処理の黄金手順(ここで9割決まる)
- 血合い血を除去:中骨溝・エラ付け根を流水+ブラシで念入りに。
- 湯霜(ゆずり):85〜95℃の湯を10〜20秒さっとかける(鍋で霜降りでも可)。
- 冷水へ落とす:表層の灰汁・脂膜・ぬめりを洗い流す。
- 水気を拭く:キッチンペーパーで完全乾燥。ここまでが臭み対策の核心。
- 大きい骨は割る:骨髄を露出させるとうま味抽出が加速(骨割りはタオル越しに安全第一)。
基本配合(家庭用・2〜3人分)
- 水 500 ml
- 酒 100 ml(=水の20%)
- 砂糖 大さじ2(約18〜20 g/水の0.8%目安)
- 濃口醤油 大さじ2(約30 ml/水の10%弱)
- みりん 大さじ1(照りとアルコールで臭みを丸める)
- 生姜薄切り 5〜6枚(香りの芯)
- あら 400〜600 g(タイ・ブリ・カンパチ・カサゴなど)
※甘さ控えめ派は砂糖を大さじ1.5へ。コク重視なら醤油:みりん=2:2に寄せ、砂糖を微減。
火入れの流れ(失敗しない時間割)
- 鍋に酒100 mlだけ入れ、強火で30〜60秒煮立ててアルコールを飛ばす。
- 水・砂糖・みりん・生姜を加え中火。砂糖が溶けたらあらを重ならないように並べる。
- 強火で一気に沸騰→すぐ中弱火、落とし蓋(またはクッキングシート)をして10〜15分。
- 表面は軽く波立つ程度をキープ(暴沸=身崩れ+濁り)。
- 途中でアクを静かにすくう。
- 醤油を2回に分けて投入(半量→5分後に残り)。
- 早すぎる全量投入は塩析→身が締まり固くなる。
- 煮汁が7〜8割量になったら火を止め、2〜3分“置き”。ゼラチンで照りが乗る。
- 仕上げに煮汁をひと匙すくって身に回しかける(“照り出し”)。
魚種別の微調整
- タイ・カサゴ(白身・透明骨):焼きは軽め or なし、香味は生姜中心。醤油はやや控えめで上品に。
- ブリ・カンパチ(血合い濃・脂厚):皮目を軽く炙ると香りが立ち、脂の重さを抑えられる。生姜+ねぎ青葉が好相性。
- サケ:皮ゼラチンが豊富。砂糖を控え、みりん多めで照りを作るとくどくならない。
“焼き骨”を使う場合
- グリル中火で4〜6分、薄い狐色になったらOK。香ばしさアップ。
- 焼き過ぎは苦味・煙臭のもと。色が付いたら即煮汁へ。
味が決まるチェックポイント
- 塩味の最終調整:火を止めてから味見。塩角が立つ=煮詰め過ぎ or 醤油早入れ。出汁 or 湯を小さじ1ずつ戻して調整。
- 照り:最後の2〜3分は蓋を外し、表面を静かに還流させると自然に出る。水飴や蜂蜜に頼らなくてよい。
よくある失敗と立て直しQ&A
Q. 生臭い/金属っぽい匂いが残った。
A. 湯霜→冷水→拭き取り不足が原因。今鍋では生姜を追加+酒少量、次回は下処理を厳密に。
Q. にごって見た目が悪い。
A. 強い沸騰またはアク取りが遅い。火を弱め、水少量+紙蓋で静める。次回は沸点到達直後〜10分が勝負。
Q. 身が固い・パサつく。
A. 醤油一発入れや長時間沸騰が原因。醤油を2段投入に改め、中弱火10〜15分を厳守。
Q. 甘い/しょっぱいのバランスが難しい。
A. 砂糖と醤油は**“戻し”で微調整**。しょっぱければみりん+湯を少量ずつ。甘ければ醤油+酒で締める。
盛り付けと保存
- 盛り:骨が下・身が上。最後に煮汁を照りが出る程度まわしかけ、針生姜を少々。
- 保存:粗熱後急冷→浅広容器で冷蔵。翌日が味のピーク。温め直しは弱火で煮汁を少量足して。
章まとめ(要点)
- 下処理=湯霜→冷水→拭き取りで雑味を断つ。
- 配合目安:水10:酒2:砂糖0.8:醤油1(体感で±)。
- 火加減:沸騰は立ち上げのみ、以降中弱火10〜15分。
- 醤油は2段投入で身を固くしない。
- 最後の“置き”と還流で照りを決める。
第3章 和の出汁②:潮汁(うしおじる)
目的とゴール
結論:骨と皮の“清澄な旨味”だけを抽出し、塩で輪郭を整えた澄まし椀に仕立てる。
あら炊きが“香ばしゼラチン”系なら、潮汁は透明・端正・余韻長いのが勝ち筋。にごらせない温度管理と前処理が命です。
基本設計(2〜3人分・家庭用)
- 魚のあら(タイ・ヒラメ・カサゴ等の白身推奨) 300〜400 g
- 水 800 ml
- 酒 40 ml(=水の5%/金属臭のマスキング)
- 塩 6.5〜8 g(0.8〜1.0%)
- 昆布 3×10 cm 1枚(下座:うま味の土台)
- 生姜薄切り 2〜3枚(香りを邪魔しない最低量)
- 仕上げ:小口ねぎ/三つ葉/柚子皮 適量
下処理(澄みの成否を決める“前半10分”)
- 血合い血の撤去:エラ際・中骨溝を流水+ブラシで徹底。
- 湯霜:85〜95℃の湯を10〜20秒さっとかける(または霜降り)。
- 氷水へ:表層の灰汁・脂膜を落とす。
- 水気を拭く:完全乾燥。ここまでで臭みの8割を断つ。
- 大きい骨は折る:出汁の回りを良くする(粉砕は×:濁りの原因)。
抽出の手順(沸点下で澄ませる)
- 鍋に水+昆布+酒を入れ、中火でゆっくり温度を上げる。70℃前後で昆布を抜く。
- 湯霜済みのあらを静かに加え、生姜を入れる。
- 温度は85〜92℃をキープ(表面が“呼吸”する湯気)。絶対に沸騰させない。
- アク取りは立ち上がり〜10分が勝負。面を壊さず静かに回収。
- 10〜12分で火を止め、1〜2分静置して微粒子を沈める。
- 細目のこし器→さらしの順で押さずに濾す(押すと濁る)。
- 塩で0.8〜1.0%に調整。足りなければ塩少量+酒ひとたらしで輪郭を整える。
味の決め方(塩の入れ方・順番)
- 塩は最後:抽出中に入れると浸透圧で灰汁が出やすく、濁りやすい。
- 分割投入:味見しながら2回に分けて(例:0.6%→0.9%)。
- 塩角が立つ:酒少量か昆布水で丸める。入れすぎ修正は湯で薄め→塩で再調整が最短。
盛り付け・薬味・吸い口
- 椀種は身を軽くほぐして骨を外し、皮側を下に静置。
- 小口ねぎ・三つ葉・柚子皮は香りが立つ程度に少量。生姜は煮出し専用で器には入れないと上品。
- 椀温度は80℃前後が香りのピーク。熱すぎは塩角、ぬるすぎは香り負け。
魚種別のコツ
- タイ・ヒラメ(白身・透明骨):生骨運用で最澄。昆布は短時間。
- ブリ・カンパチ(血合い濃):焼き骨 or 皮目炙りで脂を落とし、生姜を気持ち多め。
- カサゴ・キンメ(コラーゲン多):ゼラチンでコクが出るため、塩はやや控えめから。
よくある失敗とリカバリー
Q. 濁った。
A. 沸騰/強火が原因。火を止め、布で再濾過。次回は90℃目視基準と浅広鍋で。
Q. 生臭い。
A. 湯霜→冷水→拭き取り不足。今鍋は酒少量+柚子皮微量でマスク。次回は前処理を厳密に。
Q. 塩角が立つ/ぼやける。
A. 角が立つ→酒 or 昆布水を数滴。ぼやける→塩を0.1%刻みで追う。醤油は使わない(色・香りが変わる)。
Q. 表面に脂の輪が出る。
A. アク取りの遅れ/魚種の脂厚。紙蓋を当てて軽く吸わせるか、キッチンペーパーで表面撫で取り。
作り置き・保存
- 当日ピーク。やむを得ず保存なら急冷→密閉→冷蔵24時間以内。再加熱は弱火で80℃を目安に“温めるだけ”。
- 冷凍は風味劣化が早いため非推奨。どうしてもなら具と汁を別、急冷→小分けで。
章まとめ(チェックリスト)
- 前処理=湯霜→冷水→拭き取り。
- 温度=85〜92℃、沸騰厳禁。
- アク取り=立ち上がり10分で終わらせる。
- 濾す=細目→布、押さない。
- 塩=最後に0.8〜1.0%、分割で輪郭を整える。
第4章 洋の出汁①:フィメ・ド・ポワソン(白い魚骨の基本ストック)
目的とゴール
結論:白身魚の“清澄な旨味と骨格”を、短時間・非沸騰で引き出す。
ソースやスープの土台として無色透明〜淡金色、骨臭・えぐみ皆無が理想。白ワイン+ミルポワで香りの柱を立て、20〜30分で切り上げます。
基本配合(約1.2L仕上がり)
- 白身のあら・中骨 1.0 kg(タイ/ヒラメ/カサゴ等。血合い濃い魚は避ける)
- 水 2.0 L
- 白ワイン(辛口) 300 ml(=水の15%)
- ミルポワ 200 g(玉ねぎ100:人参50:セロリ50)
- 白胡椒粒 6〜8粒
- ブーケガルニ 1束(パセリ軸・タイム・ローリエ)
- 塩 ごく少量(味付け目的ではなく雑味の引き締め用)
目安黄金比(重量比):骨 1 : 水 2 : 白ワイン 0.3 : ミルポワ 0.2
下処理(にごり・臭いを断つ)
- 骨は血合い血を流水+ブラシで除去。
- 湯霜→氷水→拭き取りまで和と同様。
- 生骨運用が基本。香ばしさを足したいときのみ軽く焼き(狐色手前まで)。
抽出の手順(沸騰させない—90〜95℃)
- 鍋にバター少量(任意)を溶かし、ミルポワを色付けずに汗をかかせる(弱〜中火 4〜6分)。
- 白ワインを加え、半量まで穏やかに煮詰めてアルコールと酸の角を飛ばす。
- 水+骨+白胡椒+ブーケガルニを加える。
- 中火で90〜95℃に到達させたら火力を落として維持(沸騰厳禁)。
- 立ち上がり〜10分でアクを丁寧に除去。鍋肌を動かさず“面だけ”すくう。
- 合計20〜30分で火を止め、2〜3分静置→細目→さらしで押さずに濾す。
- 使う料理によっては1/1.2〜1/1.5量まで静かに煮詰めて濃度調整(泡を大きくさせない)。
味と香りの設計ポイント
- 白ワインは事前に半量まで煮詰める:酸の角が取れ、えぐみを抑制。
- ミルポワは焦がさない:褐変=余計な色と苦味。
- 塩は“ごく少量”:完成料理側で最終調整。
- 胡椒は粒:粉は濁り・雑味の原因。
- ブーケガルニは最後まで:途中で抜くと香りの芯が弱くなる。
魚種・部位の選び方
- 最適:タイ/ヒラメ/カサゴ/キンメ(頭骨以外)など白身・透明骨。
- 避ける:ブリ・サバ等の血合い濃・脂厚(骨臭が出やすい)。使うなら焼き骨+抽出短め。
- 頭骨:エラと血の塊を完全撤去すれば可。眼窩脂肪は臭いの種なので極力外す。
よくある失敗とリカバリー
Q. 濁った/白濁してしまった。
A. 沸騰・攪拌が原因。火を落とし、布で再濾過。次回は浅広鍋+95℃上限で。
Q. 骨臭い・金属臭が残る。
A. 血合い残り/眼窩脂肪/ワイン未減酒。今鍋は布で再濾過+白ワイン少量で1分再加熱。次回は前処理・減酒徹底。
Q. 香りが弱い。
A. ミルポワの汗が足りない/ブーケガルニ貧弱。次回は弱火で6分を守り、パセリ軸を増量。
Q. 色がついた。
A. ミルポワの褐変/骨の焼き過ぎ。色を付けたくない時は生骨運用に戻す。
フィメの展開例(応用)
- ソース:
- 白ワイン+エシャロットでヴァンブラン/生クリームでソース・クリーム。
- レモン+ケイパー+バターでブールブラン。
- スープ:
- ナージュ(香味野菜とハーブを増やし、魚介を浮かべる軽い澄まし)。
- チャウダー系(じゃがいも・ミルクを合わせる場合も、ベースは澄んだフィメが美味)。
章まとめ(チェックリスト)
- 比率=骨1:水2:白ワイン0.3:ミルポワ0.2。
- 湯霜→氷水→拭き取り、血と脂を落としてから。
- 白ワインは先に半量まで煮詰める。
- 90〜95℃/20〜30分/沸騰させない。
- 細目→布で“押さずに”濾す、必要なら静かにリダクション。
第5章 洋の出汁②:ブイヤベースの設計図
コンセプト
結論:澄んだ“骨の土台(フィメ)”に、甲殻の香り・トマトの酸・サフランの芳香を“段階的”に重ね、最後に乳化で口当たりをまとめる。
にごりと雑味を避けながら厚みのある香りを立てる鍵は、二層抽出(骨→甲殻)と温度/時間のコントロールです。
基本構成と“黄金比”(約4人分)
- フィメ・ド・ポワソン …… 1,200 ml
- トマト(完熟) …… 360 g(ざく切り)※トマト缶なら 300 g
- 白ワイン …… 180 ml
- オリーブ油(EV) …… 60 ml
- サフラン …… 0.2〜0.3 g(温湯50 mlで10分浸出)
- ミルポワ …… 150 g(玉ねぎ80:人参40:セロリ30)
- にんにく …… 1〜2片(芯を除く)
- オレンジ皮 …… 2×5 cm を1枚(白いワタ薄め)※任意
- ブーケガルニ …… 1束(パセリ軸・ローリエ・タイム)
- 塩 …… 味を見ながら(最終 0.8%前後)
- 胡椒 …… 少々
- 魚介(具) …… 計800〜1,000 g
- 白身・皮強・コラーゲン多:カサゴ、ホウボウ、アイナメ、メバル等
- 甲殻類:有頭エビ/手頃なカニ(殻が香り要員)
- 貝:ムール・アサリ(砂抜き済)
目安比:フィメ10:トマト3:白ワイン1.5:オイル0.5。風味の骨格がブレません。
二層抽出の流れ(骨の層 → 甲殻の層)
① 土台づくり(骨の層:澄んだ下地)
- 厚手鍋でオリーブ油半量(30 ml)を温め、ミルポワを色付けずに汗をかかせる(弱〜中火 6分)。
- にんにく微塵を加え、香りが立ったら白ワインを注ぎ半量まで煮詰めて角を取る。
- トマトを入れ、蓋なしで水分を飛ばしながら5〜8分。
- フィメを加え、90〜95℃で10分。沸騰させない(濁り・えぐみの原因)。
- ブーケガルニ+オレンジ皮を入れ、さらに5分。
- サフラン浸出液を加え、塩はまだ入れない(後で具と一体で決める)。
- 細目→布で“押さずに”濾す。ここまでで香りは軽く、澄んだ土台が完成。
② 香りの第二幕(甲殻の層:殻のロースト香)
- 別鍋で殻付きエビやカニの殻をオイル少量で中火ロースト(3〜4分)。薄い狐色・香ばしさUP。
- ①で濾した土台スープを注ぎ、90〜95℃で10分。殻を潰さない(にごり防止)。
- 殻を引き上げ、塩・胡椒で全体の輪郭を整える(最終塩分0.8%前後)。
- 必要なら静かに1/1.2量までリダクションして風味を凝縮。泡を大きくしない。
具の火入れ(崩さず、同時に仕上げる)
- 白身魚は大きめカット(4〜5 cm)にし、塩を軽く当て5分置いて表面を締める。
- 貝は砂抜き→殻をこすり洗い。
- 仕上げ直前、スープを95℃未満で保ち、火の通りに時間がかかる順に入れる:
- カニ殻(香り要員が残る場合)→白身魚(3〜5分)→エビ(2〜3分)→貝(口が開くまで1〜2分)
- 沸騰させない。泡が大きい=温度過多のサイン。中心60〜65℃到達で十分。
乳化で口当たりをまとめる(仕上げの一手)
- 手法A:オイルの乳化
- 火を弱め、ハンドブレンダーを1〜2秒だけ軽く回す。
- 残りのオリーブ油(30 ml)を糸状に落としながら断続的に攪拌。
→ 白濁させずに微細な油滴を散らすイメージ。
- 手法B:ルイユを添えて食卓で乳化
- ルイユ(簡易):にんにく1片、茹じゃが小1/2個(またはパン)、卵黄1、サフラン浸出液少量、オリーブ油60〜80 ml、塩。
- 乳化したペーストをスープに溶かしながら味を完成させる“卓上仕上げ”。
仕上げ・盛り付け
- クルトン/カリッと焼いたパンににんにく擦り→スープを吸わせて供する。
- 器は温めておく。具を先に盛り→スープをそっと注ぐ。
- オレンジ皮の極小片やディル/フェンネル葉を控えめに。香りが勝ちすぎないよう注意。
魚介の選び方(成功率が上がる組み合わせ)
- 白身・皮強・ゼラチン多(煮崩れにくい):カサゴ/メバル/ホウボウ/アイナメ
- 青魚は原則不向き(酸化脂質がスープに出やすい)。使うなら少量・表面炙り。
- 甲殻は香り要員+食べる用を分けると雑味を抑えやすい。
- 貝は最後に短時間。砂抜き徹底で金属臭を回避。
味が決まるチェックポイント
- サフラン:0.2〜0.3 gを温湯で浸出してから。直入れは×(色と香りが立たない)。
- 酸の管理:白ワインは必ず半量まで減酒。酸が強いとたんぱく分離・とげとげしさの原因。
- 塩は最後に総量で:具が入ってから0.8%前後へ。途中で入れると灰汁誘発。
- 油の質感:細かな乳化を作れたら勝ち。油膜ベタッは入れ過ぎか攪拌過多。
よくある失敗とリカバリー
Q. 濁った/白っぽくなった。
A. 沸騰・強攪拌が原因。火を落とし、布で再濾過。以後95℃未満厳守。
Q. 苦い/エグい。
A. 焼き過ぎ殻/ミルポワ焦げ/ワイン未減酒。今鍋はフィメか湯で1:1希釈→塩で戻す。
Q. 香りが弱い。
A. サフランの浸出不足か殻ロースト不足。サフラン追加の浸出液を別どりで後入れ。
Q. 油が重い。
A. オイル過多。紙蓋で表層を軽く吸わせ、卓上ルイユ仕上げに切替。
作り置き・保存
- 当日ピーク。一晩置くとまとまるが、貝は別に取り出し再投入。
- 保存は急冷→浅広容器→4℃以下で翌日まで。冷凍はベースのみ推奨(具は別)。
- 再加熱は弱火で80〜85℃。沸騰NG(乳化崩れ・にごり)。
章まとめ(チェックリスト)
- 比率=フィメ10:トマト3:白ワイン1.5:オイル0.5。
- 非沸騰(90〜95℃)で骨→甲殻の二層抽出。
- 白ワインは半量まで減酒/サフランは別浸出。
- 具は時間差投入、中心60〜65℃で止める。
- 仕上げは軽い乳化or ルイユ卓上仕上げ。
第6章 部位別の正解:タイ・ブリ・カサゴ・ヒラメ—骨と皮でここまで変わる
総論:“透明骨は澄まし、生臭骨は炊き・焼き骨”が原則
結論:骨色・血合い量・皮厚・コラーゲン量で最適法は決まります。
- 透明感ある白骨×血合い薄(タイ・ヒラメ等)→生骨+湯霜→沸点下抽出(潮汁/フィメ)。
- 血合い濃×脂厚(ブリ・カンパチ等)→焼き骨 or 皮炙り→炊き(あら炊き)。
- コラーゲン多×皮強(カサゴ・キンメ等)→短時間でも“とろみ”が乗る。潮汁なら塩控えめ、炊きなら砂糖控えめで重さを避ける。
タイ(真鯛)—王道の“生骨で澄ませる”
骨と皮の特徴:骨は白く透明感、血合い薄。皮はほどよいコラーゲン。
最適化:
- 潮汁:生骨運用。湯霜10〜20秒→氷水→拭き取り→85〜92℃で10〜12分。塩は0.8%から。
- フィメ:ワイン少なめ(白ワイン=水の10〜12%)で骨の甘みを前面に。
- あら炊き:砂糖を目安の8割、みりんで照り寄せ。上品さを保つ。
避ける:強い沸騰・長時間。粉っぽさと金属臭に直結。
ブリ(成魚)/ワラサ(若魚)—“焼き骨・皮炙り”で脂を制御
骨と皮の特徴:血合い濃・脂厚・眼窩脂肪多め。
最適化:
- あら炊き:皮目炙り or 焼き骨(薄狐色まで)で余分な脂を落とす。醤油2回入れで身を固くしない。
- 潮汁:やるなら焼き骨に必須変更。生姜を気持ち多め+で金属臭を丸める。
- フィメ:基本不向き。どうしてもなら骨1:水2.5、抽出15〜20分で切り上げ、布二重濾過。
ポイント:頭部の眼窩脂肪・エラ根の血塊は完全排除。ここが残ると鍋全体が“重く”なります。
カサゴ類(ガシラ)—“コラーゲンの勝ち筋”を生かす
骨と皮の特徴:皮強・ゼラチン多、旨味が出やすい。
最適化:
- 潮汁:生骨運用で10〜12分。自然なとろみが出るため、塩は**0.75〜0.85%**から調整。
- あら炊き:砂糖は控えめ、生姜は香り付け程度で十分に香りが立つ。
- ブイヤベース:具として煮崩れにくい。中心60〜65℃で止めると身離れが良い。
注意:焼き骨にする場合は色付け過多NG(苦味になりやすい)。
ヒラメ—“清澄の極み”で攻める白身の王者
骨と皮の特徴:骨が非常に明るく、出汁が澄みやすい。皮は薄めだがコラーゲンは上質。
最適化:
- 潮汁・フィメ:昆布は短時間(70℃で10分)、白ワインも控えめ(=水の10%)。淡い香りを守る。
- あら炊き:成立するが砂糖・醤油は軽め、みりん寄せで上品に。
避ける:長時間抽出(粉質化、香りが抜ける)。
キンメダイ(参考)—脂とコラーゲンの“二刀流”
骨と皮の特徴:皮ゼラチン豊富かつ脂も厚い。
最適化:
- あら炊き:酒をやや多め(20→25%)で立ち上げ、砂糖は控えめ。最後に蓋を外して還流で照り出し。
- 潮汁:焼き骨に切替。塩0.75〜0.85%から。油膜が出たら紙蓋で吸わせる。
- ブイヤベース:具として骨離れよし。サフランを薄めにして魚の香りを活かす。
頭・中骨・カマ・皮—部位別の機能と使い分け
- 頭(カブト):骨量とゼラチンの塊。エラ/血塊を完全除去すれば、潮・炊き・フィメのどれでも戦力。眼窩脂肪は必ず拭き取る。
- 中骨(背骨):旨味の芯。潮・フィメ向き。骨割りで面積を増やすと短時間抽出可。
- カマ:皮ゼラチンと脂。あら炊き向きのエース。潮に入れると油膜が出やすい。
- 皮:潮=湯取りして別抽出 or 極少量、炊き=そのままOK。ヒラメ・タイ皮は軽い湯通しで香りが上がる。
判断フローチャート(家庭用・簡易版)
- 骨色は? → 透明系(タイ・ヒラメ…)なら潮/フィメへ。赤茶・血合い濃(ブリ…)ならあら炊き or 焼き骨潮へ。
- 皮ゼラチンは多い? → 多いなら塩控えめ、砂糖控えめで“重さ”を避ける。
- 匂いが気になる? → 湯霜→氷水→拭き取りを強化。潮なら酒5%、炊きなら皮炙りを追加。
- 清澄を最優先? → 焼かない・沸騰させない・押して濾さないの三戒を厳守。
使い切り&同時展開のコツ(プロっぽい運用)
- 同じ日に潮汁(生骨)とあら炊き(カマ・皮多め)を並行で仕込むと歩留まり最大化。
- フィメを先に1L取っておけば、翌日のブイヤベースへ展開できる“二段構え”。
- 余った骨は湯霜後→冷凍(1〜2週間)。再冷凍は不可、一回使い切り。
章まとめ(チェックリスト)
- タイ・ヒラメ=生骨/沸点下/短時間。
- ブリ=焼き骨/皮炙り/炊き向き。
- カサゴ=コラーゲン活かし、塩は控えめから。
- 部位で役割分担(頭=ゼラチン、中骨=旨味、カマ=脂・照り)。
- 清澄三戒:焼かない/沸騰させない/押して濾さない。
第7章 作り置きと衛生:冷却・保存・再加熱のベストプラクティス
総論:“早く冷ます・清潔に保つ・必要十分に温める”
結論:出汁・煮汁は急冷→低温保持→短期で使い切り**が鉄則。濁りや風味劣化だけでなく、衛生リスクを同時に抑えます。
1. 急冷の基本(浅広・かき混ぜず・二段で)
- 浅広容器:鍋のままはNG。2〜3cm厚になるバット or 浅鍋へ移す。
- 氷水バット:容器底を氷水に当てて10〜15分。上からはうちわや小型ファンで輻射熱も飛ばす。
- 二段冷却:
- 室温→10℃以下まで1時間以内
- 4℃以下まで合計2時間以内
- かき混ぜ過多は×:澄み系(潮・フィメ)は静置冷却がにごり防止に有効。必要なら表面だけやさしく。
ポイント:具入り(ブイヤベース・あら炊き)は具と汁を分けて冷ますと速度が上がり、再加熱の温度ムラも減ります。
2. 冷蔵の運用(ラベル・密閉・短期勝負)
- 容器:密閉蓋+食品用ポリ袋の二重で酸素と異臭移りを遮断。
- ラベル:日付・品名・塩分(任意)を必ず記載。
- 目安保存:
- 潮汁・フィメ:4℃以下で24〜48時間(当日〜翌日がピーク)
- ブイヤベース(具入り):24時間以内(貝類は別保存推奨)
- あら炊き:48時間(再加熱時は煮汁少量を追って崩れ防止)
においケア:上面にクッキングシートの落とし蓋を密着させると酸化・乾きを防げます。
3. 冷凍のコツ(一回使い切り・平ら化・氷膜)
- 小分け:1食分(150〜250ml)で分割。平ら化(1〜1.5cm厚)→急冷で氷結晶小型化。
- 容器:ジッパーバッグ+空気抜き、澄み系は製氷トレーで“出汁キューブ”にすると使い勝手◎。
- グレーズ(氷膜):凍結後にサッと水にくぐらせ薄い氷膜を作ると冷凍焼けを抑制。
- 保存目安:2〜4週間。再凍結は不可。
- 解凍:冷蔵(0〜2℃)自然解凍→弱火で温め。電子レンジは弱出力+途中でかるく撹拌。
4. 再加熱の温度設計(澄みを守って安全域へ)
- 衛生基準の目安:中心75℃で1分以上(またはそれに相当)を確保。
- 澄み系(潮・フィメ):80〜85℃で止めると香り・透明感を維持。沸騰はにごりの元。
- ブイヤベース:80〜85℃の“微沸手前”で具材が再崩壊しないように。
- あら炊き:弱火で煮汁を少量足し、皮ゼラチンを戻すイメージ。強火再沸騰は身割れ。
5. “分離・にごり”を防ぐ再温めテク
- 油膜の扱い:澄み系は紙蓋で表面をそっと吸う。ブイヤベースは軽い乳化(ハンドブレンダー1〜2秒)で口当たりが整う。
- 沈殿対策:触り過ぎない。注ぐときは柄杓で上清から、底は最後に。
- 具の復活:白身は煮汁をかけ回して温める“注し温め”。直火長時間はパサつきの原因。
6. 持ち運び・弁当化(温冷のメリハリ)
- スープジャー:熱湯で予熱→80〜85℃の汁を注ぐ。具は別容器→食べる直前イン。
- あら炊き弁当:完全に冷ましてから詰める。煮凝りは夏場NG、保冷剤を併用。
7. よくある失敗と“その場のリカバリー”
Q. 冷蔵で翌日に魚臭が強い。
A. 急冷不足 or 4℃維持不良。今は生姜スライス少量を入れて80℃で1〜2分温め直し。次回は浅広・氷水・二段冷却を厳守。
Q. 再加熱で白濁してしまった。
A. 沸騰・攪拌過多。火を落とし布で再濾過→上清だけ使う。以後80〜85℃目安に。
Q. ブイヤベースが重い/油っぽい。
A. 油過多 or 低温不足で乳化崩れ。紙蓋で吸い取り→弱い攪拌で再乳化。次回は仕上げ油を控えめに。
Q. あら炊きがパサつく。
A. 強火再沸騰が原因。煮汁を少量足して弱火、落とし蓋で“蒸し戻し”。
8. 家庭のHACCPミニチェック
- 手洗い→器具の熱湯消毒(ざる・こし布・お玉)。
- 生の“あら”触った手で他器具に触れない(まな板は魚用・野菜用分け)。
- 試食用の箸と調理箸を分ける。
- ラベル化(日付・品名・塩分・加熱済/未)。
- 冷蔵庫は4℃以下、冷凍庫は−18℃以下、温度計で定期確認。
章まとめ(チェックリスト)
- 急冷=浅広+氷水、1時間で10℃以下→2時間で4℃以下。
- 冷蔵=24〜48時間で使い切り。具と汁は別保存が基本。
- 冷凍=小分け・平ら化・出汁キューブ。再凍結なし。
- 再加熱=80〜85℃を目安、澄み系は沸騰させない。
- 衛生=HACCP的に手順・温度・時間を記録/ラベル化。
おわりに
“前処理×温度×時間”で、魚の骨は最高の出汁になる
出汁は運ではなく設計です。
- 前処理(湯霜→冷水→拭き取り)で雑味の種を断ち、
- 温度(和は沸点下/洋は非沸騰)で澄みを守り、
- 時間(短時間抽出→静置→やさしく濾す)で口当たりを整える。
この三本柱を守れば、あら炊きは照りとコク、潮汁は清澄な余韻、フィメは無色透明の骨格、ブイヤベースは香りの厚み――と、狙い通りに仕上がります。今日の台所で、まずは湯霜→冷水→拭き取りから始めてみてください。味が一段上がるはずです。
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